第8回 円形病棟
昭和29年の病院焼失からわずか1年あまり、農協病院のシンボルである円型病棟が完成した。全県農協の温かい支援に加え、大火のわずか10日前に火災保険を倍増していた偶然も重なり約7千万円の建築費用を捻出できた。豊田先生が「病室の外側が丸くなっているので隅の空間がなく広く使えた」と述べた「厚生事業50年の歩み」には、総婦長であった藤本ふみ氏が、「エレベーターがなく勾配の強いスロープで頻繁に患者運搬車を押したおかげで、腕力と脚力が鍛えられた」、「円型なので歩いても先が見えない、扇型の部屋であるため寝台をいくら置き換えても真っ直ぐに見えない、円型ノイローゼのいう言葉が生まれた」、「竣工翌日から水漏れのない日は1日もなかった」などエッジの効いた文章を書き残している。当院の誕生から青年期までの30年を8回にわたって連載した本シリーズは、今回をもって終了とする。僕たちは今、厚生連史の中でどの辺にいるのだろうか?僕たちは今、どこに向かって走っているのだろうか?
最後に、写真提供と時代考証をいただいた大浦栄次氏と、ご愛読いただいた皆様に深甚なる謝意を表す。ありがとうございました。
(文:鳥畠康充)