第3回 時代背景
前回まで昭和29年の病院大火について書いた。時計の針を四半世紀分、逆に回し、当院を産み落とした時代背景について述べる。昭和4年、ニューヨークに端を発した世界大恐慌は、日本経済を完膚なきまでに叩きのめした。なかでも、日本で最も貧しい農村の一つであった富山にあって、その窮状は目を覆うばかりであった。高岡病院大火の際、救世主となった内藤友明は自らの詩集に、当時の農村の惨状をこう詠んでいる。
「神もなき 佛もいまさぬか農村は きびしく さびれ救う道なし」
また、大浦は「厚生事業50年の歩み」の中で、洒落っ気たっぷりの名文をさらりと残している。
「疫病神と貧乏神以外の神仏はすべて、農村を見離した」
医者は治療費の払えない農民を捨てて街に移り、無医村が激増した。医療の貧窮を示すパラメーターである乳児死亡率において、富山は全国一の最悪県に転落した。産婆も村を捨てたからだ。
窮鼠猫をかむ——–銭がない、医者がいない、産婆がいない、神も仏もいない。そんなナイナイづくしの村で、1人の青年農民が大声を上げた。名を田中勝二郎という。以下、次号に続く。
(写真所蔵と原文:大浦栄次 本文:鳥畠康充)