第1回 最大の試練 病院焼失
(写真撮影:当時の小児科医師 塚本政次先生)
今年度から本所健康福祉課・大浦栄次さんが収集した写真を元に、厚生連高岡病院の歴史を紐解く。当院は、昭和11年に開設されたが、わずか20年たらずで閉院の危機を迎えた。戦後の混乱から、ようやく立ち上がろうとした矢先の昭和29年4月10日、給食炊事場から出た火はまたたく間に病院の8割を焼き尽くした。しかし、死者は0人。戦火をかいくぐって復員したばかりの勇壮な職員たちによる決死の患者避難があったからだ。
携帯カメラがない時代に、なぜ窓から飛び降りる人を捉えたスクープ映像があるのかわからない。ただ、空を覆いつくし一面に立ち込める煙は、この火事の大きさをいかんなく物語っている。積み重ねられた布団は2階からの飛び降りに備えたものだろう。大火の後、閉院すべし!という声があがった。この危機を先人たちはいかに乗り越えたか?次回、乞うご期待!
(写真所蔵:大浦栄次 文:鳥畠康充)