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熊本地震に係る第2次医療救護班 活動報告について


病院情報

すべての被災者のために~平成28年熊本地震における富山県救護班第2陣活動報告~

はじめに
平成28年4月14日午後9時26分頃に熊本県熊本地方を震源とした最大震度7の前震に続き、約28時間後の4月16日午前1時25分頃に最大震度7の本震が熊本県、大分県に大きな被害を発生させました。
4月19日に熊本県から全国知事会を通じて、富山県に医療救護班の派遣要請があり、当院は富山県救護班第2陣(医師1名(救急科藤井)、看護師2名(吉井看護師、参納看護師)、薬剤師1名(竹中薬剤師)、事務業務調整員2名(家城臨床工学技士、江守事務員)の合計6名)として4月24日~28日に阿蘇医療圏、特に南阿蘇村で活動してきました。阿蘇大橋の崩落(未だに1名は行方不明)、東海大学学生の住むアパート倒壊、豊肥線踏切内での車両脱線などテレビ・新聞各社報道を見られた方も多いと思われますが、まさにその地域での活動でした。我々、救護班の活動は限られた時間でありましたが、今後の災害医療において一考に値する活動でもあったと思われますので、ここに御報告させていただきます。

最初の仕事は「待機」
熊本空港に到着し、事前に指示された阿蘇医療センターにレンタカーで向かったところ、すでに全国から救護班が参集していました。ここでの指揮命令系統は、熊本県医療救護調整本部→阿蘇保健所→阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議(通称ADRO)→各都道府県救護班と言ったかたちになっており、活動内容は「熊本県の命令」によって決定されるので、「この活動は嫌だ」ということは基本的にはできません。よって「どんな仕事でもやります」という気持ちで行きましたが、最初に受けた命令は『本日は待機』でした・・・。すでに発災から10日間経過し、被災地も物で溢れかえっている状況で、医療ニーズも徐々に減ってきているようでした。
「待機も救護班の仕事だ」と割り切り控えていたところ(?)、再度命令があり「25日の準夜帯に阿蘇医療センター救急室で診療をして欲しい」というものでした(「病院支援」といって、病院職員も被災者であることから休息をとってもらうために、代わりに診療を行うことは通常の活動です)。よって、24日は宿舎に戻って長距離移動の疲れを癒すこととしました。
しかしながら、翌朝の会議では、「南阿蘇村役場白水庁舎において南阿蘇村医療救護班本部(仮称)を山梨県、沖縄県、富山県の救護班で立ち上げて情報(医療ニーズ)を吸い上げてほしい」というものに変更となりました(「本部活動」といって指揮命令系統を構築し、各種情報を分析し、活動内容を調整する活動です。災害時には急に活動内容が変更されることがあり、通常の出来事です・・・)。「言われたら何でもする」をモットーに南阿蘇村へ向けて出発しました。

震災の二次被害~小善は大悪に似たり~
南阿蘇村白水庁舎に到着し先遣隊との情報共有したところ、我々のように各都道府県からの救護班が活動する前から医療チームだけでも、地元開業医、日本医師会災害医療チーム(JMAT)、国境なき医師団(MSF)、日本赤十字社救護班、徳洲会災害派遣医療チーム(TMAT)、姉妹提携市町村の救護班、民医連、世界のステージ(というメンタルケアチーム)、災害派遣精神医療チーム(DPAT)、自衛隊衛生部隊、感染対策チーム(ICT)、その他に確認できなかった独自の医療チーム(通称、一匹狼、野良救護班)がやってきて、それぞれが思い思いに活動して帰っていくという状況でした。その他に、各都道府県から派遣された保健師、災害派遣看護師、災害派遣歯科医チーム、災害派遣リハビリチーム、災害派遣NSTチーム、災害派遣薬剤師チーム、被災者の家族・親戚・知人・友人、ボランティア(なかにはモンスターボランティアも・・・)などなど、南阿蘇村自体(つまり熊本県自体)が把握できていないほどの様々な職種・団体・個人が入り乱れていました。
「すべての被災者のために」という思いで活動していることは間違いないのですが、逆に被災者にとっては「毎日色んな人が来て、同じ事ばかりを聞かれるし、いつも違うこと言われるし」で『震災の二次被害』にあっている状況でした。正直なところ、組織作り・情報共有・命令系統がうまくいっていなことが原因と思われました。よって、何とか各チームと情報共有し効率よく活動できないかということで、発災直後から活動されていた地元医師と地元保健師と協力・サポートするかたちで「阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議南阿蘇分室(通称SADRO)」を立ち上げて指揮命令系統の確立、感染症(ノロウイルス、インフルエンザウイルス)対策、保健師との連携を主に行いました。実質3日間(25日~27日)の活動では十分とは言えませんでしたが後続班と連携し、最低限の体制は構築できたのではないかと思います。

最後に
今回、被災地においてこのような活動ができたのは速やかに勤務調整や物品調達、連絡調整、専門アドバイスなど院内各部署の御理解と御協力を頂いたお陰です。この場をかりて御礼申し上げます。

富山県救護班第2陣 藤井真広(救急科)、竹中久善(薬剤部)、吉井優子(救急外来)、参納厚允(集中治療病棟)、江守亨介(医事課)、家城護(臨床工学部)

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