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厚生連高岡病院

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新着情報 厚生連高岡病院からのお知らせ

看護の日 「最優秀賞」「優秀賞」受賞!!


病院情報

「最優秀賞」「優秀賞」受賞、おめでとうございます。
富山県看護協会、看護職員等からの体験談 約150名の応募の中から、当院より二名の受賞者があり、5月7日グランドプラザで表彰を受けました。

 

島 萌佳さん  「白衣を着るということ」
東海 智鶴さん 「私の道標」

 

 

 

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白衣を着るということ

厚生連高岡病院 島 萌佳

 

「こんなん、生きている意味、ないよなあ」ぽつりと漏らされた言葉に、息が詰まった。
私は昨年の4月から看護師となった。働き始めたばかりで、白衣に袖を通す度に緊張していた私は、脳梗塞で入院されたS氏と出会った。S氏は手に麻痺が残り、生活の大半に介助が必要な状態であった。トイレ介助を終えズボンを上げていると、S氏がある言葉をつぶやいた。小さな声だが、はっきりと耳に届いた。それが、冒頭の発言だ。
看護師になってから初めて聞く患者の思い。私はすぐに「そんなことはない」と言おうとしたが、新人の私が言ったところで、S氏はどう感じるだろう。そう考えると、言葉がのど元で止まった。「家族からすれば、いてくれるだけで嬉しいものですよ」。ようやく絞り出した言葉に、S氏は「そうか、そうだな」と笑った。情けなくなった。先輩と同じ白衣を着ていても、自分には何も出来ていない。「あの時、どう言えば、どんな言葉をかければ」。繰り返し考えても答えは出てこなかった。ならせめてと、私は患者の姿を見かける度にひと声だけ、必ず声をかけるようにした。それはリハビリを労う言葉だったり、1分程度のたわいない話だったり。少しでも、患者の気分を変えることが出来ればと声をかけ続けた。
「ありがとな」。退院の日、Sさんは私の手を握って言った。その手は、入院してきたときは物を握ることも出来なかった手だ。「患者はな、看護師さんが気にかけて、声をかけてくれるのが、うれしいんだ。年数なんか、関係なくな」。想像もしていなかった言葉に、私は泣きそうになった。それから3カ月経ち、S氏は外来受診を終えて病棟まで来てくださった。「白衣も馴染んできたなぁ」とS氏は笑い、「俺みたいな患者に、また声をかけてやってくれな」と再び、しっかりと私の手を握って言った。
こんな私の言葉でも、経験浅い新人でも、患者にとっては「看護師の言葉」になる。その言葉には患者を支える力がある。白衣を着るとは、そういうことなんだ。S氏の言葉は、私にそのことを気付かせてくれた。S氏との出会いから、「看護の持つ力」をひとつ学んだ、私の忘れられない出来事になった。

 

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私の道標

厚生連高岡病院 東海 智鶴

 

私は、今長く務めた看護師という職業に、ひとつの区切りをつけようとしている。多くの出会いや別れがあり、多くの学びを得た。その中でもNさんとの出会いが、今の私の看護を支えている。
Nさんとの出会いは、今から25年程前のことになる。Nさんは舌癌で、舌癌の看護をするのは初めてだったと記憶している。Nさんは社会的にも地位があり、とても穏やかな人だった。手術後Nさんは話しづらくなり、食事も摂取しづらくなったが、笑顔を絶やさず、私たちにも気遣いを忘れない方だった。そんな中、Nさんの娘さんの結婚式があった。スタッフみんなで、どうすればガーゼや傷跡が目立たず、タキシードが着れるのか、試行錯誤しNさんを送り出した。とてもいい笑顔でNさんが戻って来られた時は、本当にうれしく、またNさんもとても感謝された。
月日がたち、Nさんの病状が悪化し、疼痛を訴えることが多くなった。あの当時は今とは違い、告知などあり得ない時代。鎮痛剤も麻薬を使うと、直ぐに亡くなってしまうと考えられていた時代だった。当然、Nさんにも告知はされず、鎮痛剤もソセゴンを使う程度の疼痛コントロールだった。私はそのころから、ターミナルケアに興味を持っており、告知をしないことに疑問を感じていたが、その根拠となる考えも、知識もなく言葉にすることはできなかった。とうとうNさんが亡くなる日がきた。その日私は深夜勤務だった。朝方痛みを訴えられ、注射を希望された。当時は6時間空けないと使用できず、時間が経っていないから、もうしばらく待ってほしいと伝えた。Nさんはしばらく目を閉じて、それからノートに書き始めた。「もういい。早く楽にして。死なせて」とすがるような目で私を見つめた。今までどんなにつらい時でも、気丈に頑張っていた姿しか見たことがなかったNさんの衝撃的な一言に、私は「そんな辛いこと言わないで頑張って」と、言ってしまった。Nさんの心の叫びに寄り添う事も出来ず、受け止めることもできなかった。その日の日中にNさんは亡くなった。Nさんの最期の言葉が、今も私の心に突き刺さっている。
それからは、以前から興味があった終末期、緩和ケアについて学んだ。カウンセリング、心理学、緩和など、できる限りのことを学び続けた。Nさんとの出会いで、私は看護師人生をかけて答えを求めるものに出会った。Nさんが私の看護の原点であり、生涯求め続ける道標になってくれたと今も思っている。あの時のNさんの言葉を、今も考えながら、心に寄り添う事、すべてを受け止める事とは・・・と自問自答している。今も答えは出ていないが、あの時Nさんにかけたむなしい言葉を後悔しながら、Nさんに語りかけている。Nさん、今の私はあなたに寄り添うことができますか?

 

 看護の日 受賞者(PDF)

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